所長 信託造語 集
「信託が泣いている」 ―東京大学溜箭教授の言葉―
「信託が泣いている」
(東京大学溜箭教授の言葉)
今の家族信託を、正に端的に言い現わしている言葉である。
6月末、民事信託推進センターのテーマ別研究会に出席し、講師の溜箭将之教授の講話を拝聴し、参加者として質疑にも加わらせていただいた。
先生は、私が、信託に学ぶにあたって、最初に何度も読み込んだ「入門 信託と信託法」(弘文堂)の著者樋口範雄先生の直弟子で、しかも私が、信託の成立要件を説明する中で長文を引用させてもらっている「フィデューシャリー『託される人』の法理論」(溜箭先生監訳)の著者Tamar Frankel教授に師事しているという話を、立ち話で聞き驚いた。
「溜箭」(たまるや)という先生の名字を覚えるのに苦労していたが、このTamar(タマール)先生の名ですっかり脳裏に焼きついてしまいました。
この溜箭先生が説明された「信託が泣いている」というのは、私も常日ごろから思っていたことであり、正に、正鵠を射た言葉である。その意味は、「場当り的な資産計画」(場当たり的な信託の組成)であり、「委託者の意見との齟齬」(委託者の信託設定意思の軽視)、それに「受益者の不在」(受託者のための信託)だという(括弧書きは、本職の感じた意見である。)。本来の信託の使われ方をしていないとも言われていた。正にそのとおりである。
あらためて「正しい信託」を!
高齢者が高齢者を、そして子供を護る時代
正しい信託 同期のサクラ 編
お渡しする人に喜んでもらえるように心がけて、さりげなく名刺を渡ししています。
それは別として、この番組は、「名言の宝庫」です。
●「まずい、ひじょーにマズい!!」
「家族信託は、二人で文書に署名すれば何でもできるなどと言うのはまずい、ひじょーにマズい!!」
●「・・・すると助かります」
成年後見制度は「ぬかり道」

笠島は いづこ五月の ぬかり道
しかし、最近、後見事務を5年間何もしない専門職後見人がいて、話題になっていることを知り、当然懲戒と解任事例だと思うとともに、かかる後見人をなくすために、強制的に本人に接して意思確認を求めるガイドラインがあってもよいかなと思うようになっている。情けない話だが。
だが、さらに考えてみるに、かかる職業後見人に正しい意思決定支援は望むことは無理であろう。お任せか、自分勝手の代行意思決定以上望めそうもないからである。
正しい成年後見制度の実現は、道のりは遠い。しかし、やらなければならない。この「ぬかり道」から抜け出すには、本人にしっかりと寄り添える家族後見人と市民後見人の力を借りるほかあるまい。
正しい信託

法律、その他信託の基本的ルールを守り、公序良俗に反しない社会的にも認められる委託者の希望を叶える長期間機能する家族信託のことです。
言葉は単純ですが、奥が深く、一言では言い表すことが難しい意味を含んだ言葉です。
それは、依頼人の依頼内容に合致した、第三者から見ても公益的にも許容される目的と仕組みであることが必要だということです。
信託は、信託行為によって、それが何のため(目的)の信託か判ることが大事です。そして、それが信託法制をはじめ民法等の法律及び税制の面か も問題のない、依頼人を満足させる信託の仕組みになっていることが大事なのです。
正しい信託というのは、さまざまな視点から見て、依頼人からも常識的な依頼内容に沿って満足した内容であること、また第三者・専門家から見ても法制度(遺言相続制度、後見制度、福祉制度)に沿っており、また課税の面でも問題がないことを確認された信託であること、そして、それは「生きた信託」であること、「信託もどき約束事でないこと」ということでもあるのです。
それに、一般の人にも分かりやすい仕組みと表現になっていて、使いやすいものであることも要求されているとも言えます。 これが、私の言う「正しい信託」です。
「相続は早い者勝ち」 「遺言があれば安心」ということはなくなった!
(1) 遺産である不動産については、「相続による権利の移転の登記は、登記権利者が単独で申請することができる(不動産登記法63条2項)」とあり、相続人の一人が、法定相続分で、全相続人の分を登記することができるのである。
信託は、相続財産から消えるので、899条の2の問題は生じない。