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所長 信託造語 集

正しい信託  同期のサクラ 編

 

私は、テレビ番組『同期のサクラ』に凝っています。
私の趣味は、「桜の撮影」です。
特別印象に残った桜を選んで、自分の名刺に取り込んでいます。
名刺交換の際、皆さんのこころを読んで、桜の写真の入った十数枚の名刺の中から1枚を選び
お渡しする人に喜んでもらえるように心がけて、さりげなく名刺を渡ししています。

それは別として、この番組は、「名言の宝庫」です。
家族信託に引用させていただきました。

●「まずい、ひじょーにマズい!!」
 「家族信託は、何でもやりたいことを実現できるなどと言うのはまずい、ひじょーにマズい!!」  
 「家族信託は、二人で文書に署名すれば何でもできるなどと言うのはまずい、ひじょーにマズい!!」
 「家族信託は、登記すればあとは受託者がやりたい放題などと言うのはまずい、ひじょーにマズい!!」

●「・・・すると助かります」
 「常識では、使えない信託を作らないでいただけると助かります。」
 「多くの人の夢を台無しにする信託もどきけいやくの作成だけはやめていただけると、ひじょーに助かります。」
 「裁判で、争いとなるような信託を作らないでいただけると、ひじょーに助かります。」 
   
●「私には夢があります」
 「私には夢があります。正しい家族信託を制作し多くの皆さんに使っていただくことです。」
 「私には夢があります。一生信じて使える生きた家族信託を作ることです。」
 「私には夢があります。家族信託で夢を叶えられたと、多くの人に言っていただくことです。」
 
 
 

成年後見制度は「ぬかり道」

 

私が生まれたのは、「宮城県名取郡愛島村」である。村の中心が笠島地区であるが、北部には光源氏のモデルとなったともいわれている藤原実方(中将)の墓がある。元禄2年(1689年)、松尾芭蕉が実方中将の墓を訪ねようとして、道に迷って詠んだとされる句がある。
 笠島は いづこ五月の ぬかり道
 
いま、成年後見制度は、「ぬかり道」の中にある。
私は、被後見人本人に寄り添えば、自ずと意思決定支援はできる、指針やガイドラインは不要であるとの考えを持っている。そもそも「意思」とは何か、答えを出すのが難しいからである。しかも、時間が制約されている専門職に、本人に寄り添って、本人がいだいている考えや思いを本当に聞き出せるだけの心の余力があるのだろうかと思うと否定的にならざるを得ないのである。
しかし、最近、後見事務を5年間何もしない専門職後見人がいて、話題になっていることを知り、当然懲戒と解任事例だと思うとともに、かかる後見人をなくすために、強制的に本人に接して意思確認を求めるガイドラインがあってもよいかなと思うようになっている。情けない話だが。
だが、さらに考えてみるに、かかる職業後見人に正しい意思決定支援は望むことは無理であろう。お任せか、自分勝手の代行意思決定以上望めそうもないからである。

正しい成年後見制度の実現は、道のりは遠い。しかし、やらなければならない。この「ぬかり道」から抜け出すには、本人にしっかりと寄り添える家族後見人と市民後見人の力を借りるほかあるまい。

正しい信託

 法律、その他信託の基本的ルールを守り、公序良俗に反しない社会的にも認められる委託者の希望を叶える長期間機能する家族信託のことです。

 

​ 言葉は単純ですが、奥が深く、一言では言い表すことが難しい意味を含んだ言葉です。

​ それは、依頼人の依頼内容に合致した、第三者から見ても公益的にも許容される目的と仕組みであることが必要だということです。

 

  信託は、信託行為によって、それが何のため(目的)の信託か判ることが大事です。そして、それが信託法制をはじめ民法等の法律及び税制の面か も問題のない、依頼人を満足させる信託の仕組みになっていることが大事なのです。

 

    正しい信託というのは、さまざまな視点から見て、依頼人からも常識的な依頼内容に沿って満足した内容であること、また第三者・専門家から見ても法制度(遺言相続制度、後見制度、福祉制度)に沿っており、また課税の面でも問題がないことを確認された信託であること、そして、それは「生きた信託」であること、「信託もどき約束事でないこと」ということでもあるのです。

   それに、一般の人にも分かりやすい仕組みと表現になっていて、使いやすいものであることも要求されているとも言えます。 これが、私の言う「正しい信託」です。  

「相続は早い者勝ち」 「遺言があれば安心」ということはなくなった! 

 

相続改正法で、相続の効力等に関する対抗要件制度(民法899条の2)ができた。
第899条の2・1項によれば、「相続による権利の承継は、遺産の分割でも、遺言があっても、法定相続分及び代襲相続人の相続分の規定により算定した相続分を超おえる部分については、登記、登録その他の対抗要件を備えなければ、第三者に対抗することができない」となった。
  
(1) 遺産である不動産については、「相続による権利の移転の登記は、登記権利者が単独で申請することができる(不動産登記法63条2項)」とあり、相続人の一人が、法定相続分で、全相続人の分を登記することができるのである。
(2) 相続人の単独申請を回避する方法はない。
(3) 当該相続人の法定相続分について、第三者に処分したとき、遺言があっても、遅れれば、第三者に対抗できないこととなった。
 
民法899条の2の規定は、遺言制度を脆弱化する悪しき改正ともいえる。「遺産の分割によるものかどうかにかかわらず」とあり、遺言の相対的効力をもたらすこととなった。
「遺言があれば大丈夫。」と言えなくなったのである!

信託は、相続財産から消えるので、899条の2の問題は生じない。
相続人は、信託財産には手を出せないので、勝手に法定相続分の相続登記はできないのである。
一層、家族民事信託の重要性が出てきた。 
 
 

 

「遺言より楽な家族信託」などはあり得ない

 

 そのような考えで組成された信託は、「信託もどき使えないもの」としか思えません。

 家族民事信託は、遺言とは違い、生前から、成年後見制度を補完する機能として活用するのです。任意後見の契約公正証書を見てもお分かりのように、噛み砕いて判りやすく説明を受けなければ高齢者にはいささか理解が難しいような条項が数多く並んでいいます。これだけ見ても、遺言とは比較できないほど緻密な組み立てが必要なことは判るはずです。

 遺言より楽などと甘言を弄してはなりません。

 

生きた信託

 家族信託は、信託の長期的な管理機能を確実に働かせて、信託の目的を達成させることが大事です。 
 何十年もの間、制作した信託が機能するように細心の注意を払い、信託を制作することです。
 
 この細心の注意を払って、できあがったのが、ここにいう「生きた信託」なのです。もちろん、長期の事務処理の中で、それが難しくなることがあります。その場合でも、目的に沿って迅速適正に信託が変更できる組み立てになっていることも大切です。
 
 最初から課税問題で、頭をかかえて動けなくなった信託、第一次相続時、相続人から遺留分減殺請求がなされ信託行為が取り消されてしまうような、お粗末な信託によってもたらされる不具合のない信託のことです。
 しかし、例えば受益者連続信託で、90年もの間、手を掛けず信託が生きることを望むことは無理があります。常に、事務処理や受益者保護のために、機能不全に陥らないよう、信託の変更を視野に入れておく必要があるのです。

「信託は魔法の箱」などではない

家族信託は、「家族で信託の内容を自由に決められる、何でもできる制度」という、偽りを言う者もいます。この詐言を信じてはなりません。

 

家族信託も基本的ルールがあるのです。

私は、「家族のための民事信託は、信託商品という箱にクライアントの要望を詰め込めばよいというものではない。一つ一つ品定めをし、それが必要なパーツか、組み立て順序は間違いないか、漏れているパーツはないか、そしてそれが連動する正しいものかどうかなどをしっかり検証して、それを世に出す必要がある。」と言って、この詐言を信じることのないように、注意しています。

委託者は蚊帳の外

このことは、間違いだ、と登記に携わる専門職が言い始めています。
  信託終了時の登記費用に関わる問題ですが、そのときの登録免許税が上手くゆくと減額(1000分の20が1000分の4)できるということからです。税額が、1000分の20と、1000分の4とでは、確かに出費に差はあります。
  しかし、かかる話しは確かな信託、生きた信託があってこそ言えることです。信託の実務では、委託者の地位の承継は鬼門です。委託者の地位は、絶大です。受益者を変更できるだけでなく、信託を止める権限をも持っているのです。このため、信託法は、信託が開始すると、委託者の権限を全部剥奪して、かやの外に置くこともできるのです。
  このことを忘れ、将来の課税のことで、角をためて牛を殺すようでは、信託を利用する意味がないともいえるでしょう。
この問題は、これから実務でどのような扱いをされるか、判りません。
  拙書「家族信託契約」224ページの但し書の文言で、解決できないでしょうか。

隠す信託登記 ― 相続前から「争族」が起きる

 信託登記は、これを配慮しないと、ご本人が死亡する前から「争族」が起きる可能性があるのです。
 信託登記は、登記された信託の内容を誰でも見ることができる制度になっているからです。その中に、相続財産(信託の権利)は「誰々に承継させる」「最後は、誰々に渡す」という、遺言に当たる部分も、登記することになっているのです。
 
 そんな馬鹿なと、お思いになる人も少ないでしょう。
 
 私も、5年前にそう思い、法務局登記官と戦った歴史があったのです。私は、信託契約は、実質は「遺言」だと思っています。だから、遺言部分は隠すことにしたのです。隠し方は、拙書「家族信託契約」に、詳細書かせていただきました。
 私が戦ったのは、遺言を被相続人の死亡前から誰にでも見せるのはあってはならないことだという正義感からです。その事例は、不動産管理の信託契約で、登記する法務局は、4か所。
 それぞれ、この「隠した信託目録」の登記申請書を作成して、まず、宇都宮の法務局に出しました。「そのような申請書は見たことがない」という理由で、受け付けもらえず、次に、東京法務局の支所に出したのですが、ここも「表記の仕方不十分」という理由でアウト。次は、千葉法務局支所、登記官には、「遺言を誰でも見ることができる仕組み」を公務員が無神経にすすめるのは、個人情報を漏らしているのと同じではないか、というスタンスで説明したところ、それが運よく理解してもらえたのです。そこで、その謄本を手にして、宇都宮の法務局、次に東京の法務局支所に赴き、考えを変えてもらったのです。
 こんな歴史があったなという思いが、今も鮮明に残っています。
 

宙に浮く信託財産

家族信託契約を知るうえで、信託がいかに特異な法的な仕組みかを確実に会得する必要があります。
 そこで、頭に入れていただく大事な事項は、信託に組み込まれる財産(信託財産)が、本人のものでなくなり、本人の遺産から消えるということです。
 この信託財産は、これを託された受託者の名義になりますが、「誰のものでもない財産」(nobody’s property)として信託の中で扱われるということです(「新訂 新しい家族信託」34、95ページ)。   
 
  信託財産は、このように誰のものでもないと言われています。これを一般の人にも分かりやすく、説明したものですが、それは、委託者の手から離れていること(委託者のものでないこと)、受託者の名義にはなります(ケーブルにつながっていて、管理行為はする)が、その固有財産にはならないということです。もちろん、受益者のものでもありません。
 
  そこで問題になるのは、「倒産隔離機能」です。
  一般的には、考え方は同じになろうかと思います。ただし、考え方はさまざまです。委託者がすべての権利(受益権)を持った当初受益者の場合は、倒産隔離は働かないという、有力説があります。 この考え方からすると、自益型自己信託 (私の考えでは、そもそも「無効」)    にあっては、倒産隔離はまったく働かないということです。
 

成年後見制度を知らないで家族信託は組成できない

家族信託は、成年後見制度を補完し、遺言に代替する仕組みです。
 このことは、どちらが裏か表かは別とし、信託は成年後見制度と表裏一体となっていることを意味するのです。したがって、家族信託を極めるには、成年後見制度のこと、特にこの制度の実務を会得しておくことは不可欠なのです。
 しかし、どちらの制度も、一般の人には理解が難しい。家族信託を創造する人は、この難解な制度を、更に税制度を極めることは不可欠になっているのです。
 
 なお、私は、“組成”という字はあまり好きではない。
 なんとなく、“粗製乱造”をイメージしてしまうからですが、ここではあえて使わせていただきました。
 

信託もどき口座

「なんちゃって口座」と同義語。
   これは、民事信託管理口座として「倒産隔離」を有しない普通の預金口座のことです。
 
   この口座では、何が起こるかと言うと、「受託者の相続人が歓喜する(泣いて喜ぶ)預金」の口座になるのです。実際に起きているので、恐ろしい口座になるのです。
   銀行の預金 (普通預金) は、基本的には、預金者本人の名義の口座名が付されます。これが、倒産隔離のない「信託口座もどき」の受託者の名義では、受託者が死亡したときは、受託者の固有財産として扱われるのです。したがって、受託者が死亡したとき、当該預金は死亡した受託者の預金として扱われ、凍結されます。そこで、その相続人が遺産分割協議書を作成し、銀行に提出してその預金を払い戻しすることができてしまうのです。もちろん、受託者に個人ローンがあれば、相殺されてしまい、信託関係者は、青くなってしまうほかありません(実際は、受託者の相続人が喜んで泣く預金なのです)。
 
  「屋号口座」もその一種、信託口座とは扱われない「受託者」の固有財産となる「預金の口座」になります。これは、倒産隔離機能がありませんので、受託者が死亡しますと、受託者の相続財産として扱われ、相続人が、払い戻しできることになるのです。
     あとは、裁判と信託組成者を責任追及するのでしょうか。
 

信託もどき契約 (信託もどき約束ごと)

信託とうたってはいるが、実は信託とは言えない約束事です。
そのような約束事は、多くは、法的保護は受けられないと思います。
 
拙書「家族信託契約」260ページ以下に、詳細書かせていただきました。

千年信託(未来永劫信託)

永久信託のことです。
 ある信託契約を見たら、信託の期間の終了が「委託者の直系卑属がこの世に存しなくなったとき」とありました。
 腹の中で、笑ってしまいましたが、未来永劫信託を継続し、一族を絶やしたくないという気持ちは判りますが、どうでしょうか。

遺言の落とし穴

遺言にも「陥穽」があるということです。 
     拙書「家族信託契約」62ページを参照してください。

家族信託の歴史が消える

 国民から、信託はまがいものの法律制度という、レッテルをはられて、この世から消えてしまうことです。
   私は、「新しい家族信託」のあとがきに「信託であるとして何もかもできるわけではない。ときには、信託が禁止されたという歴史があることを振り替えてみることも必要である。」と書かせていただきました。 反トラスト法もその一つです。反トラスト法とは、信託 (トラスト) などを禁止・制限する法律のことです。
 
 それが、私の強いその思いです。要は、信託もどき困った信託を作りあげて、使えない信託を世に出すことによって、国民の信頼を失なってしまうことだけは避けたいのです。
    信託もどき契約は、世の中に出してはならないのです。

盗っ人信託

 成年後見制度では、後見人の使い込みが、大きな社会問題となっていますが、信託も、同じ財産管理制度であり、受託者は、自分の利益のために信託の仕組みを悪用は出来ません。
 家族信託では、受託者の横領や背任行為は、許容しません。
 
 「盗っ人信託」の例は、「受託者は、信託不動産の管理上適当と判断したときは、信託財産である不動産を受託者の固有財産に帰属させることができる。」というような、信託の条項にあってはならない定めです。
 
 私は、かかる信託条項は犯罪的行為を唆すあるいは下支えする、刑法で言う「幇助罪」にあたるような定めであり、これが受託者の不正を助長する、ひどいものだと思っています。これが公正証書でできあがっているので、あぜんとしてしまいます。
  「横領信託」「背任信託」 も同じです。
    要は、犯罪的な公序良俗上認められない信託設定は絶対にやるべきではないのです。

ワンストップ信託

 
  家族信託契約は、家族のための財産管理承継制度であり、財産を「管理(守る)」「活用(活かす)」、そして「承継帰属させる(遺す)」という機能を一つの法的仕組みでできる、他にはない特殊なワンストップ制度である。
 
  これは、この連結した特殊な機能を活かすことによって、その目的を達成するものであり、一つ一つ分断させては意味がない。初歩的なミスとは言わないが、後見的財産管理機能だけを利用して信託はやめて、残余財産は遺産分割に委ねるというのでは、これを利用する意味がないともいうべきことだと思う。
遠藤家族信託法律事務所
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